絵描鬼〜エガキ〜第五回『匠』


2005、3、31

 

絵描きの愚痴をそれらしく文学的に表現してみる事により客人にクダを巻く悶絶企画絵描鬼。

更新スピードが失速したのは俺が忙しい以外にもこうやって悩みを成文化する事により

俺の中のわだかまりが解けて来たと言う事かもしれないが

このコーナーは字書きでなく絵描きの俺を救済する企画なので続けよう。

今回は達人達のお話。

 

今日の話は2つ

一つ目は俺が敬愛して止まぬ米田仁士氏は自らのサイトで画力上達についてのコラムを書いていた。

氏はアニメーターが書いた本を読む。

そこの一説「石にかじりついてでも、人より多く枚数を描くことしか、人よりうまくなる方法はない」と言うのを見て、

「う〜ん、そりゃそうだけど、なかなか出来る事じゃないよな」と氏は思う。

しかし、氏はそれを実行してる男に会う。

その男とは寺田克也氏だった。

米田氏は寺田氏の画力、修練、絵への貪欲さに舌を巻く。

米田氏は「石にかじりついて〜」と言う熱さは持てないが淡々とした修練で自分の絵を掴もうと記しそのコラムは終了する。

敬愛して止まぬ米田氏すら舌を巻く程の気迫。

そしてそれに対する米田氏のクールに熱い絵描きとしての気迫。

俺は感動と自分の不真面目を同時に感じた。

 

 

次いで先日。

友人に誘われミュシャ展を見に行く。

昔見に行った時は何も分からず「スゲー」と思って見て来ただけだったのだが

今回は俺も少しは成長した。

感想を一言で言うと「超スゲーー!」(大した進歩は無しw)

 

俺がクドクド語らずとも有名すぎる画家であるがやはり凄い。

まず目を引くのは女性の肉感的表現だ。

腕とかわき腹とかがすごく艶めかしい。

チラリと覗かせる足元などのツボを押さえた表現は

今で言う「萌え」のような物ではないかと勝手に考察したりもした。

そしてアール・ヌーヴォーの代表のようにも言われるあの装飾表現である。

あの独自の様式美は他の何でも代用できない斬新なスタイルだと思う。

また当時の美術はマスコミ的要素も強くあった為、

演劇、著名人、イベントごとなどとも絡むビジネスライクな側面も

先日のマンガ家氏との会談ともダブり面白かった。

 

それを見て俺は「天才とはこう言うのを言うのか〜」と思っていた。

…先日までは。

その美術展ではミュシャの変遷から貴重な習作まで展示していたのだが、

少年期にデッサン講義に必死で通い仕事をしながら認められて一流の美術学校へ入学。

そこでミュシャは自分の絵の基礎となる物を叩き込まれた、とある。

同じく習作であるが、あの独自の装飾表現も花などの大量のデッサンや、

文様も多数の習作があり、ミュシャ程の魅力的で高名な画家でも全ては研鑽の賜物なのだなぁと感銘する。

 

生来の美術を見る目はあっただろう。

素晴らしいセンスと筆致、大成を掴む運もあったのだろう。

だが、達人とは達人としての弛まぬ修練を積んで達人となるのだなぁと改めて痛感した。

 

自分のような凡才はなおさら描いて描いて描くしか無いのを見直した。

米田氏の言うようになかなか出来る物ではないが、まずは気持ちから始めよう。

 

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