村上の面白哲学3


2004、10、3

むぅ、つい引いちゃった物の思いついた事は大概言っちゃったし、まとめられる程のネタは無いんだよなぁ〜

なんで今回は小ネタもとい終章〜随想〜って事で。

 

面白ワード

ことにマンガ、ゲームなどの創作においてその言葉だけで面白さを引き出すワード(同時に要素を表すわけだが)がある。

例えるなら

・番長 ・デカ ・仮面 ・忍者 ・将軍 ・ドリル

これらは上手く使えば手軽に爆発的オイシさをひっぱる物であるが、

いかんせん知名度が高すぎるので改心の一手を出されたら以降は人々が忘れるまで使えないのが難点だ。

例えるならドリルは勇者ロボ系とD4プリンセスで鉱脈は大分掘り尽くされ(文字通り!)たし、

デカも犯人デカが出た以上向こう数年は使う事適わないだろう。

コレは前回のダムや鉱脈の話に戻るが、当社が創作するバカマンガもカテゴリー「番長」であるが、

実はこれも大分荒らされてる市場なので実はきわどい。

そろそろ次世代のワードが熱望される。

 

面白さの練磨

大分前の話だが、ラジオで超ベテランの漫談を聞いた事がある。

最初は全く興味なかったのだが聞いてると悶絶するほど面白い。

自分が生まれる前から笑いを練ってる人の「笑い」は凄まじいと実感。

自分は知識浅いんでわからないが、キチリとスタイルや当時の風俗を知ってれば落語も面白いのだろう。

生まれる前どころか代々笑いを練ってる人たちである。想像を絶する。

俺ももっと悟りに近づけばあの人達の深淵を垣間見る事ができるのであろうか?

 

範囲と笑い反比例の法則

俺の持論だが、「笑いのターゲットにする層の範囲と笑いは反比例する」と思う。

笑いはそのネタを狭くすればするほど当たりやすく爆発力も増し、

広くするほど笑い自身に高い精度が求められるのだ。

対象範囲を狭めてみる場合、例えば学校の先生の真似が上手いヤツがいたとする。

母校の旧友なら大爆笑だが、その範囲は十数人程度だろう。

少し広めて有名人のマネが同じくらい上手いヤツがいた場合だが、

その精度は実はちょっと上手い程度だった場合範囲は広くなるが大分似てないとウケが悪い。

芸人のあるあるネタなんかはと更に一般性が広くなる分精度が求められるのという事実は、

売れっ子とそうでない芸人でのネタをみれば分かっていただけるだろうか。

 

そしてそれはギャグマンガにも適用できるのではないか?

何にも頼らず面白いマンガと言うのはかなりの素養、練磨を要求されるが、

何かのパロディ、揶揄は元ネタを知っている者を限定する物の爆発的笑いを生み出す。

そこでウチである。

ダブルパロディはただでさえ2作品を知らなければいけないと言うドマニア向けの選択である。最近気付いた。

そこに掛けて毎度同じカプ(?)ならともかくのその都度ジャンルを渡り歩く。

ウチは毎度のネタのチョイスに着いて来いと言う極々狭い範囲をターゲットにしてるから

コアなファン様が付いてくれる代わりにそんな儲からないのだろう。

 

 

面白さの少減

俺が行き付けの雑貨屋のオッチャンは元音楽青年だった所為か、クリエイティブな事柄に造詣が深い。

そのオッチャンは妙に名言が多いのだが、

曰く「ものを創造する力は歳と共に衰えて行く」と言う。

正直目から鱗だった。

今までもチラホラ出してるが、旧友とあった際の昔話に出てくる俺は今よりも遥かにハジケていた。

極めてわがままかつ無軌道かつ脈絡が無い。

ガリィが鍛え上げた陽子の純粋な殺戮に憧れるが如く俺は無くしてしまった面白さへの憧憬を禁じえない。

1で随分話したが俺は自分の面白くなさに時折絶望する。

でもまだ新しいネタが閃き、一人そのアイディアでケタケタ声を殺して笑えるなら

まだ面白さは枯れ果ててはいないのだろうと騙すように信じ込む。

古来より言うではないか

「バカは死ななきゃ治らない」

この慣用句は俺にとっては侮蔑でなく宗教における救いの教義のような物である。

どうやら今生中くらいはバカライフを満喫できるようだ。

少しだけ安心。

 

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