村上の面白哲学2
2004、9、19
前回を序説〜素養について〜とするならば、
今回は面白さの重要な要素のひとつである「アイディアの閃き」について語ろう。
さて、面白い作品では良質かつ斬新なアイディア勝ちした物も多くある。
ではアイディアとはどこからやってくるのであろうか?
今までの人生で培ってきた知識、常識、マンガの王道、時事ネタなどをベースに、
時にそれに則り、時に裏切り、読者の笑いのツボを予想しうる限り突き…と土台はいるが、
今回テーマにしたいのはそれらの閃き自体がどこからやってくるのかについてである。
マンガ家、島本和彦氏は著作「吼えろペン」に於いて
「アイディアとは電波のような物でマンガ家はそれを周波数ごとに拾うアンテナである」と言い、
マンガ家の主人公、炎尾がタマタマ同じ周波数を持っていたが為に
炎尾のトンデモプロレスマンガと時を同じくして全く同じ技を編み出すプロレスラーの話を書いた。
全く無関係の人間が同じようなアイディアを閃く、いわばシンクロニシティ的な物はあるのでこの説は有力だ。
だがもう一つ、自分の知人が説いた面白い説を紹介したい。
それは「閃き=共有のダム」説である。
アイディアの閃き自体は自分が考えたような物は時は前後しても他の人も閃くいてる物である。
そう言った点にい於いてアイディアとは無意識下で皆が共有しており、
閃きとはソコからをいかに先に汲み出すかと言う事であり、
マンガと言う作品を発表する行為に於いては如何に先に発表するかが勝負の世界である。
マンガは発表した者勝ちの世界であり、後続の物はすべてパクリ、亜流とされてしまう。
冴えたアイディアを先に発表されてしまった場合、
同様もしくは類似したネタは人々の記憶から消えるまで使う事はできなくなってしまう。
そう言うと鉱脈に近いとも言えそうである。
まぁ皆さんも自分が面白いと思ったネタがマンガでやっててビックリした事が一度や二度あるかと思う。
かく言う自分も先日、高校時代に閃いたもののストーリーまで昇華しそびれてたので、
コッソリ埋めに埋めた秘蔵のバトル物のアイディアを本屋で見かけ
ひどく落ち込んだものである。
やはりマンガは先手必勝!
平安京エイリアンの如くザクザク掘り返し、
ゴルビーのパイプラインよろしくガンガン水脈独占してナンボであるようだ。
だーかーらー、お前らそのネタ持ってくなっての!