例の事件の話
2004、3、19
今回はマジメに先日起きたあの、女児殺害事件に絡む話。
最初聞いた時は「またイヤな事件が起こったなぁ」と思い、
犯人がオタクだったと言う所からオタク糾弾のようなマスコミの取り上げを観て、
「また児ポ禁がキツくなったり、風あたりが強くなったりするのかなぁ」と思ったりと極めて傍観的だったのだが、
だが以降にどれだけオタクかと知らしめる報道で
「フィギュアマニアだった」
「遊戯王のプレイヤーだった」
「押収されたエロ本とロリ本の中に奈良沙緒理写真集が」
など既視感を覚えるラインナップを聞いていると
嫌悪感のような、焦燥感のような危機意識のようなイヤな気持ちが芽生える。
そんなイヤな気持ちを抱えつつネットをプラプラしてて偶然みつけたサイトがコレ
ここでの事件に対する問題提起と警鐘を鳴らす文章が
俺の中のモヤモヤした不快感を代弁しつつも、答えとして昇華してくれてるように勝手に感じたので、
今回こんな記事を打ってみた次第である。
詰まる所、「普通のオタクは犯罪をしないんだよ!」とか
「ちゃんとしたロリコンは女の子を愛でるだけなんだ」などと、
当たり前の事を言ってるのだが、当たり前の事が偏見によって理解されないのが世の常で、
当たり前では起きないが犯罪が起きてる現実だからこそ、
この宣言は極めて有意義であると思う。
ここでも言われているが「オタクは皆ロリコンで犯罪者予備軍だ」と言うのはサンピンなマスコミの偏見ではあるが、
話を少し切り替え、京極堂シリーズで京極堂氏が
「犯罪者は何も特別なのではない。その者が犯罪を犯す状況にあっただけなのだ。
だから犯罪者を特別な存在として扱うな。」
などと言うのもまた真であると思う。
犯罪者を擁護する気は毛頭ないし、コレを下地に性善説、性悪説を唱える気もない。
なんと言うか、逆に自分にも危機感を持つべきなのかと思う。
多くの者を対象にした時、自分はその例に無いと思うのは傲慢だったり自意識過剰だったりだと思うので、
俺の本棚に鎮座する「奈良沙緒理・天使は12歳」「増田怜奈・ジュエルボックス」「鈴木かすみ あした」の
3大狼理写真集が俺をさいなんでる気がするが、そこは宣言を胸に生きたいと思う。
まま、なんにせよ生き辛い浮世じゃの。